先日見たTV番組にて
先日、「人生が変わる1分間の深イイ話」という番組を見ていました。
その中に。冒険家がパートナーの愛犬といつも一緒に冒険をしている話があり、その愛犬が亡くなった後に何かを作ったという話でした。
何を作ったかというと、愛犬の毛皮でベストを作ったということでした。その冒険家はこのベストを着ていまでも一緒に冒険をしているということです。冒険家なりの愛犬に対する究極の表現だとおっしゃってました。
この話を聞いた時に、思い出したことがありました。
世界のこのようないろいろな表現を調べていた時にあった話です。
狩猟民族はパートナーの愛犬が亡くなった時に、その犬の肉体や毛皮は、食べたり、衣服にして身に付けていたそうです。
狩猟民族(文明からかけ離れて生活している民族や、太古の共に生活している民族)は、衣食住そして命を共に生活してるパートナーの愛犬(狩猟に欠かせない存在)が不慮の事故や寿命で亡くなった時その肉体は、残されたパートナー(人間)が利用したそうです。肉などは食し、毛皮や歯や骨などは着飾ったり、道具にしたりとしたようです。
この話を知ったときは、ごく自然な人間の行動だなと思いました。
現代の文明社会の中での、人間の価値観や動物と人間の関わり合いでは、行われにくい行動ですが、、、環境によって形などが多少違うだけで本能的に行われる行動なのだとあらためて感じました。
そして、ふと思ったことが、、、
この冒険家も、もしくは愛犬の肉体の一部は食したのではないかと、、、
このことを公に語ると、、「変人」というより、、「おかしい人」と周囲の見方がさらに増すので、、語っていないだけなのではと思いました。
究極の表現であるようですが、、ごく自然で、当たり前の表現のようにも思います。
ちなみに番組ではパネラー全てが「いい話」と満点の評価でした。
文明社会の既成概念や法律にコントロールされている現代人には、とても変わった行動に映るかもしれなく、それがあたりまえに思わることと思います。
現代人が当たり前に思われている既成概念を疑って深く考えてみれば、違った角度が見えてくるかもしれませんね。
法律という秩序に反していなければ、心の表現は自由であるということだと思いました。
今回は愛犬(動物)と人間の関係がクローズアップされましたが、、、
人間も動物と考えると、、、
人間(動物)と人間の関係も同じではないか思いました。
人は周囲の意見や考え方を意識してしまいがちですが、、、表現は自由であるのでしょう。十人十色、千差万別ってことでしょうか。
愛することは、、あたたかく深くいい話であることなのでしょう。